雑記 はじめてのおつかい

 

🌋年ホニャホニャ月ペシ日(地球)

 

つれー、まじつれー。つれーっていうのは「辛い(つらい)」よりなんつうの、その、力が入らん感じだよ

一回、消費者金融に30万くらい借りてどこかへ身を移さねばやべーな。やべーっていうのは「やばい(やばい)」よりなんつうの、その、やばい感じだよ

 

テレビで『はじめてのおつかい』やってんのか。ウチが住んでるところ、日テレは1チャンネルなんだけどね、いつもリモコンの「4」を押してまうのね。そうすっと「チャンネルが登録されていません」みたいな文言が出てくるんだわ。うぜ

 

わたしのはじめてのおつかいは幼稚園に通っとったころ、当時わたしは団地に住んどったんじゃが、そっから歩いて2分くらいのところにある自動販売機で「缶コーヒーを買うてこい」と。

いつも両親が飲んでいる、ダイドーブレンドコーヒーを2本、つうことで小銭をわたされた。

あのころ、団地の敷地外へ出るっつーことは、もうとんでもない冒険よ。いっつも幼稚園バスが迎えにくる道路よりさらに奥へ進むんだから、2分の距離とはいえまさに未開の地であった

自販機は2台ならんでいた。ダイドーと、アサヒのやつが。わたしは頭では理解していた。「ダイドーブレンドコーヒー(いつも家にあるやつ)2本」

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こいつが2本落ちてきた。

やべーと思った。わたしが幼稚園のころ、やべーという言葉を知っていたか知らんけど、やべーと思って、そのとき「自分、缶コーヒーのおつかいもできないのウケる」と2分間ウケながら見慣れぬ缶コーヒーを両手に帰った

両親にワンダの缶コーヒーを献上した、もちろん「は?何これ?」「頼んだのと違くない?」と言われた、「わたしも違うと思う」と答えた

自販機だで、お店の人に「ダイドーブレンドコーヒー2本ほしいのですがどこにありますか」と聞く必要ない、難易度星1なのに、わたしははじめてのおつかいをミスった

「ボタン押すときに背伸びしたらドブのふたのとこに足がズルっていってボタン押し間違えた」と言い訳をしたのだが、そもそもお金を入れる段階、自販機から間違えているんだよな

結局、仕方なく両親はワンダを飲んだ、もしかしたらこれがきっかけでいつものコーヒーをワンダに換えるかも、と思ったりしたのだがその後もダイドーブレンドコーヒーを箱で買い続けている

 

ラジオ体操に行って、ソッコーで帰っておはスタ見て、もっちゃん家に行ってポケモンの通信対戦とベイブレードプラレールぷよぷよして、帰る、みたいな夏休みのルーティンしたいなー、いつだってしてたいぜ

 

ハッピーエンド

 

2018年7月15日(日)

 

求人サイトばかり見ている。

地元に残りたいという気持ちが日ごとに増してきて、まあ実家からは出たいと思っているのだけど、希望する勤務地には「青森市」と入力している。

働きたいと思っている小さな出版社があって、しかし採用情報は出ていない。自分の文章を持って突撃するだけの度胸は幸い備わっているけれども、月給13万円とある。こんなことでいちいち引っかかる自分が嫌になる。

 

昼間、母が6枚切りの食パン2枚を使ってホットサンドを作ってくれた。昨日の夕飯で余ったトマトとキャベツ、それとチーズが挟んである。あの真っ赤なホットサンドメーカーがなくとも、十分に暮らしというものはやっていけるのであるが、ああ、暮らしとは元来そういうものではないように感じる。これは少なくとも、"わたしが求める"暮らしの話であるのだが。

 

Twitterで流れてきた

死刑廃止国が犯人を射殺した件数を調査してみた』(https://www.yaserucola.com/entry/shot_dead

という記事を読む。

こういう有益な情報を目の当たりにすると、日記なんか書いていてもどうしようもないなとつくづく感じるが、さっきのホットサンドメーカーのことを思い出してしまう。

 

あー、という意味のない音を発し、小学四年生の頃に与えられた自室の、物心ついた頃から使っているベッドに倒れこむ。ちっとも絶望していなく、やや胃が痛む程度である。

昨夜3時頃まで起きていたので今日は12時頃まで眠ってしまったが、それでもまだ眠い。昼に目が覚めたとき

カーテンがふくらむ二次性徴みたい あ 願えば春は永遠なのか

という、歌人の初谷むいの歌をなんとなく思い出した。春とは何だろう、と思うも答えまでたどり着かないまま考えるのをやめた。

 

そういえば昨日、弟から文化祭の様子の写真や動画を見せてもらった。弟はわたしと同じ高校に進学して、毎日楽しそうにやっている。わたしには高校の記憶がほとんどない。わたしのiPhoneに残っている高校の文化祭の写真は、コカコーラの空き瓶の写真一枚のみで、弟には「なんで人の写真撮らないの?」と馬鹿にされた。

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青森にいたいけれど、自分がここでしかできないことは一体なんだろうとも思う。

andymori『ハッピーエンド』を聴く。誰に何を言われても、自分が信じたいものを信じればよいということは救いである。

都会へ行けば刺激的な人らに囲まれて刺激的な日々を過ごすことができる(確率が上がる)ことは理解している。

自分が遠くへ行けない理由が、経済力行動力と直接的に結びついているとは思えない。正当化したいための言い訳に見えるのならそれでもかまわない。これが他人に噛みつかれた腕ならば腕ごとくれてやる。

 

まだ21歳とか、いつまで自分は言っていられるのだろう。もう誰かを傷つけるのはごめんだと思ってはいるのだが。

時効について

 

2018年7月13日(金)

 

一年前のおみくじに書いてあることがわたしの信じたいことなので未だに捨てずにいるし信じている、時効というものは存在しないでほしい。思い出話とか「時効だし」と言って切り出さないでほしいな、それはさーたとえば更新を否定しているのではなくて何かを得るたびに何かを諦める/なければいけないという思考への抵抗、と言っていたいのですがどうですか、というわたし自身、巨大な矛盾を抱えて生きていることに気がつくけれどなんかどーしても、わたしの中に見つけた正しさはわたしの中で正しいのだからどーしてもぜんぶわたしの中で守りきりたいわけ、守りたいわけってはじめ書いたけど書き足した、やっぱ完遂したいし

 

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メモ

 

2018年7月12日(木)

 

「あの〜う、すみません」

セブンティーンアイス自動販売機はいいな、でもブドウ味のシャーベットのボタンを押したのにバニラ味のふつうのやつが出てきたことがあるんだよな

「あの〜う、あの〜う!」

その時はマジで怒った、バニラ味とか、いつでも食えるしこんなん、もー

「あなたってもしかして、渡り鳥ですか?」

しかたねーからバニラ味のふつうのやつを食った、白いプラスチックの棒じゃなくて、ワッフルコーンだった、だから食い終わったあとに噛む棒がなくってやっぱり怒ってしまった

「地球ってだるいです」

リサイクルショップで買った100円のTシャツを着るときはな、襟のところをめちゃくちゃ洗ってから着るようにしてる、ということを好きな人の前で話してはいけません、と幼稚園で習った

あの幼稚園ではうんていをよくがんばり、園長とかいうおばさんにすんげー褒められたのだが、園長とかいうおばさんがお泊まり会のときに握ったおにぎりがべちゃべちゃだったので嫌いになった

「ひとりぼっち、いぇ〜い?」

話しかけてくんなよ、うぜーな、まだあの家のまわり黄色いテープでぐるぐる巻きだったぞ、そんなに暇なら見てこいよー、ぐるぐる巻きだから

「本気〜?」

CDってまんなかに穴あいてんじゃん?穴あけたのお前だろ、何してくれちゃってんのー、罰として今度中野でカレーおごれし、カレー、インドカレーじゃなくて欧風カリー、神保町じゃねーよ、中野でだよ

「麦、麦!」

はいはい、かわいいねー、あーほんとうぜ、五十音からおまえの名前に登場する音だけ消したいわー

 

(アイスの落ちる音)

 

 

 

 

 

 

 

 

ごきげんアゲアゲでいたいぜ

 

2018年7月11日(水)

 

細い路地、赤い車、窓を全開にして片手でハンドルを操作しながらやって来た女に睨まれた。

と思ったのだけれど、女はサングラスをかけていたので、睨んでるかどうかなんてわたしにはわかるはずなかった。

 

今日はnoteにエッセイの感想を書いたので、そっちを読んでいただけるとうれCです

『神さま、私のこと好きなんじゃないかな』

著 / 梶本 時代

https://note.mu/naruto_nerineri/n/na2268875ebb5

 

いっつもごきげんアゲアゲでいたいぜ

巨大な青い絵

 

2018年7月10日(火)13:54

 

果汁グミを一粒もらったので口の中に入れたら、思いのほか長い時間ぶどうの味がした。

 

虚ろな目をしていると、誰も話しかけてはこない。まあわりと、いつもなのだけれど。え?虚ろな目をしていることも、誰も話しかけてはこないことも、です。いつもわたしは、少し足りない。え?今わたし、ものすごく虚ろな目をしているのですが、見えますか?

なんてね、見えるわけないよね、でもね、どこかにわたしはいるのだよなあ、それが、今は少し悔しい。

 

 

 

日記というものは本来他人に見せるべきではないということを忘れるな

 

2018年7月9日(月)

 

昨日わたしの身に起きたことの反動かは知らないが、今日は何にもできなかった。肉体の疲労も多少は関係しているけれども、当然やって来る次の朝というものに、これほど強く打ちのめされたことは初めてである。そして、まさしくこれが、わたしが否定するところの「物語」なのだろうと思っている。

 

昨日わたしの身に起きたことについて、ここに詳細を残したくはない。書くことから逃げていると思われても仕方がないのであるが、こればっかりはどうしても、強いて挙げるとするならば、隣のテーブルの婦人たちが食べていた飯が「ドブ水のにおい」だったらしい、ということくらいである。

 

わたしは文章を生成するマシンではない。わたしは文章を垂れる人間である。それくらいしか能の無い人間である。

 

人間で思い出したのであるが、昨日わたしは1981年の本で『男にとって女とは何か』というものを見つけた。心底くだらないテーマであると思いつつ手に取り、心底くだらないテーマの最終項を見ると、

「男にとって女とは、人生そのものである。」

とある。やはり心底くだらない一文であると思い、ついつい鼻から何かが出た。

しかし、わたしはやけにスッキリとしたのである。鼻の通りが良くなったことも多少は関係しているけれども、人生というものを逆説的に得たような気持ちになった。

 

もう、致し方ないものと思っている。断じて、諦念の意ではない。この道にも前や後ろという概念があるとすれば、確実に前を向き、さらには歩いているところである。

 

冒頭に、わたしは「物語」を否定しているというふうなことを書いた。

生き方に関して言えば、物語的というべき生き方があるとして、その対極に詩の連続というべき生き方があるのではないかと考えている。

しかし、今朝にわたしが体験した「物語」の説得力こそが解なのかもしれない。

 

それでもわたしは、物書きの端くれとしては「物語」に否定的な姿勢をとることを、どうしてもやめられないのである。

虚構も十分に「物語」になり得るので、わたしの否定はすべての事実にまで及ぶものではない。

右半身が沈むほどに考えた昨日わたしが言いたかったことは、少なくともわたしの日記は物語ではない、というささやかな一点に過ぎないだろう。

このことについて今のところは、ロジックで解決するものでは無いと見えている。

 

昨日わたしの身に起きたことについて、ここに詳細を残したくはない。書くことから逃げていると思われても仕方がないのであるが、こればっかりはどうしても、強いて挙げるとするならば、縄文遺跡にて拾ったクルミは虫や鳥に食われて腐っていた、ということくらいである。

 

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追記

この文章を読んでくださった方からメッセージをいただいた(とてもありがたい)。

そこで初めて気づかされて、これはまずい……と思う

2018年7月8日は、1997年4月3日に生を受けて以来、もっとも良い日でしたことを追記しておきます。

いちばん大事なことが書けていなくて、大変お恥ずかしい…… 精進します。