OIOI、あれは田舎者には読めねえよ

 

2018年 5月13日(日)

 

Twitterで騒ぎになっている『まるいおんなのことおとこのこ』という漫画のことを、きのうの晩にツイキャスで話した。

こういう話題には首をつっこまない方が賢明なのかもしれないが、わたしにはわたしなりに思うことがあるのでここに書くことにした。賢明な方には、読み進めないことを勧める。

 

まず、わたしは『まるいおんなのことおとこのこ』はもちろん、同じく話題になっている『しかるねこ』も『こぐまのケーキ屋さん』もアボガド6さんという方もフォローしていない。これらを好きなフォロワーたちのリツイートや、Twitterの仕様で「○○さんがいいねしました」と表示されることで目にするようになった。目にするようになったが、フォローはしていない。

リツイートやいいねにはもちろん悪意はない。「こんなものを好きなんてどうかしている!」などと、ここで他人の感性を批判するつもりは毛頭ない。

 

先日、Twitterで「わたしの #nowplaying のツイートをウザいと思うか、それともただのツイートと思うか」という趣旨のアンケートを行った。31票の回答があり、19%の人が「ウザい」と答えた。本意であるかどうかはわたしにはわからないから信憑性はまったくないけれど、19%の人とはエレカシの「今宵の月のように」を歌って心の中でお別れした。

「ウザい」と思う人はいても、実際に「ウザいのでやめてください」とリプライが来たことはない。ないので、それがインターネットにおけるマナーのようなものなのだろう。(ウザいならば、我慢しなくてもよいのでブロックなりリムーブなりしてくれた方が個人的にはありがたい。フォロワー数の変化には気がつくが、誰が、までは詮索しないので)

 

「見たくないのなら見なければよい」という意見はごもっともなのであるが、この『まるいおんなのことおとこのこ』の件に関しては、ミュートしていても大喜利のような形でツイートがばんばん流れてくるので、もう対処しようがない。

 

『まるいおんなのことおとこのこ』は大喜利(そもそも、大喜利とはこのような倫理観に欠けた行為ではないため、大喜利とも言いたくないから)否、Twitterの人たちのネタとして扱われてしまってもおかしくはない内容である、というのがわたしの正直な感想である。(理由は最後の方に他の方のブログの引用をしているので、そちらで確認をお願いします)

他の人も言うように、Twitterの人たちがこぞって馬鹿にする「LINE民」と呼ばれる層に『まるいおんなのことおとこのこ』はヒットすると思う。実際に、LINEスタンプも売れているらしい。しかし、炎上のきっかけとなったTwitterという場がなければ、ここまでの人気も獲得できなかっただろう。また、TwitterではなくInstagramを軸に公開していたのならどうなっていただろう。SNSごとの妙な特性に悩まされるのが、現代っぽくて不幸だと思う。しかし、平日の昼間から公園でパックの鬼ころしを飲んでいる小汚い人間に、シロツメクサで作ったかわいい花冠を渡したって逆上されることは、想像の範囲内である。

 

「何故(大手の)KADOKAWAはGOサインを出したのか」という声を聞いたが、KADOKAWATwitterフォロワー数22万6000人(今日現在)の F の『いつか別れる。でもそれは今日ではない』を「10代20代の男女から圧倒的な支持を得る、新たな古典エッセイの誕生。」という文句と共に売り出している。他にも、Twitterでフォロワー数が多い人の書籍の多くはKADOKAWAから出版されているため、版元については納得がいく。

フォロワー数など当てにならないと思っているわたしのような者は少数であるということが信じられない。世界を錯覚するのはいとも簡単でありまったく恐ろしい。

「売りたい本」と「売れる本」は大きく違う。個人的には、このようなTwitterなどから派生した本が売り上げランキングの上位にランクインしているのはTSUTAYAだけであってほしいと思っている。(作者がどのような気持ちでツイートの書籍化を許諾しているのかは不明だが、もし何かが著者自身の中で混同しているのならば早急に自覚してほしいところではある)

 

 ここからがこの文章の核である。

この件で一番非難されるべきは『まるいおんなのことおとこのこ』という作品でもその作者でもなく、Amazonに悪質なレビューを書き込むためにわざわざ本を購入し実際に書き込む人や、ネタツイと称して悪質なツイートをする人たちであることは間違いない。

自らの作品を公開した瞬間に全ての作品は非難の対象になり得る、ということは当然であり、また誰もが理解している。今回、炎上の対象となったさまざまな漫画の作者も、その点を十分に理解していたはずである。「わたしが愛したのだからこの作品は万人に愛されるだろう」という傲慢さによって負った傷については理解しかねるが。

今回の件は、漫画の内容よりも、アンチによる明らかに度を越した火の付け方に不快感を隠せない。「○○さんがいいねしました」という表示つきでネタツイートが流れてくることにも腹が立つ。次々と量産されるそれらは防ぎようがないので嫌でも目にとまる。こうなったら「見たくなかったら見なければよい」に従ってTwitterをやめることを考えるが、いついかなるときも理不尽な暴力に屈することが事の終結であってはならないだろう。つか、Twitterやめられるわけねえだろ。

先に述べたように、作品を公開する側はある程度の覚悟、また責任を持っているはずである。その覚悟を大きく越えた誹謗中傷をすることは、読み手側としての責任を果たしていないと感じる。

当たり前のことばかりを書き連ねているが、誰にでも嫌いなものはある。しかし、嫌いなものを嫌いだと表明することを、決して悪とは思わない。自分の好きなものを嫌いだと口にされて傷つくことも一種の傲慢であるとわたしは受け取る。今回の件の「嫌い」の表明の仕方はもちろん過剰だけれども。それでも、嫌いなものを嫌いと言えなくなる風潮がいやだ。好きなものだけで構成されているのが人間ではない、そうではなかったか。

 

改めてわたし自身の立場を示すと、漫画の内容にはある程度の嫌悪感があり、決して支持できるものではない。その内容は、このブログにおおむね同意である。ここまで書いておいて自分の言葉で説明しないのは無責任であるので、嫌悪感を抱いた理由もいちおう示しておく。

わたしは、この漫画で正当化されている『まるいおんなのこ』の非常識さを受け付けられない。『まるいおんなのこ』には、どうか自分の足で立ってほしいと思う。ギャグ漫画であれば救いがあったのかもしれないが。

また、この漫画に対する感じ方は、恋人の有無で大きく変わってくると思う。当然、恋人がいる人の方が共感するような内容だろうから、そもそもわたしのような独り身などお呼びではないのだろう。しかし、わたしもかつて恋愛をしたことがあるが、『まるいおんなのこ』の行動や言動に共感できる瞬間は一つもなかった。

恋愛に限らず、自立した人どうしが寄り添うからおもしろいのであって、(病気等の場合を除いて)自立できないがために他人を利用することは、人との関わり方を大きく間違っているのではないかと感じる。「お互いが幸せならそれでいい」ならば、本来恥ずべき姿をわざわざ漫画にして世間に公表しなくてもよいのではないか、とも思う。

『まるいおんなのこ』が本当に軽度の知的障害を持っているのかは知らないが、この漫画に感化されて、自立でき(るのにしようとし)ない人間による恋愛観が世の中に蔓延することが恐ろしい。余計なお世話だが。

 

そして何よりも、TwitterAmazonのレビュー欄で馬鹿騒ぎをしている人らには、批判の仕方を誤るな、ということを言いたい。

 

 

23:57 追記

・作品の批判は作者の批判ではない、というのは都合のいい台詞なのだろうか。

・「作者が傷つく」ということを考慮して作品にマイナスの評価をしないことは、純粋に作品を評価できていると言えるのだろうか。

・「嫌い」という言い方がよくないと反省