まだ紫陽花は写真

 

2018年 5月24日(木)

 

今のところ「平成最後の」という言葉に、魅力というか、名残惜しさみたいなものを一切感じなくて、平成が終わったら、ちゃんと後悔できるのだろうか、と不安になる。

他人から好かれようとすることを昨年末から今年の頭にかけてやって、見事に疲弊した。

今は、誰にとってもなるべく無害な存在でいようと努めている。

別に感謝されなくてもいいから相手を怒らせなければいい、とか、そういう舐めた態度で他人にかかっていって、見透かされたら終わりのゲーム、みたいな。

なんとなく空虚だと言いたいのだけど、空虚の正体を未だつかめていないから、借りている、それは妥協に近いというか妥協そのもので、そういえば、図書館司書はトイレで掠れた「あ」をこぼすのかしら。

 

ランドセルを踏んだこと、あんまりないけど、部活終わりの体育館のシャッターを閉めるとき、背伸びしたけどとどかなくて、ランドセルを踏み台にしたな。

 

エントロピー めっちゃむなしい

 

「のべくん、よく職質されるんだって」

「朝から手芸をしたい」

「優しい人は好き?」

「最近、いいね」

 

似顔絵を描くとしたら、ということを考えながらの帰路でした。ださい自転車のキーコキーコ鳴って、「まだ怖い思いをしたことがないから怖くないです」って言う練習でした。

 

ずるいよ、ずるいよーって思い続けていたら人生が終わっちゃいそうだな。

わたしが傷ついた場面を、パワーポイントで説明しましょうか?って冗談じょうだん

 

鳥は夜、どこにいるのだろう?みんな帰る場所があるならいいね。つか、ここには遊びに来てただけだったんだ、と思いながら街灯に照らされた鳥の糞を見てた。あと、信号無視もした。

 

そういう季節だ