日記というものは本来他人に見せるべきではないということを忘れるな

 

2018年7月9日(月)

 

昨日わたしの身に起きたことの反動かは知らないが、今日は何にもできなかった。肉体の疲労も多少は関係しているけれども、当然やって来る次の朝というものに、これほど強く打ちのめされたことは初めてである。そして、まさしくこれが、わたしが否定するところの「物語」なのだろうと思っている。

 

昨日わたしの身に起きたことについて、ここに詳細を残したくはない。書くことから逃げていると思われても仕方がないのであるが、こればっかりはどうしても、強いて挙げるとするならば、隣のテーブルの婦人たちが食べていた飯が「ドブ水のにおい」だったらしい、ということくらいである。

 

わたしは文章を生成するマシンではない。わたしは文章を垂れる人間である。それくらいしか能の無い人間である。

 

人間で思い出したのであるが、昨日わたしは1981年の本で『男にとって女とは何か』というものを見つけた。心底くだらないテーマであると思いつつ手に取り、心底くだらないテーマの最終項を見ると、

「男にとって女とは、人生そのものである。」

とある。やはり心底くだらない一文であると思い、ついつい鼻から何かが出た。

しかし、わたしはやけにスッキリとしたのである。鼻の通りが良くなったことも多少は関係しているけれども、人生というものを逆説的に得たような気持ちになった。

 

もう、致し方ないものと思っている。断じて、諦念の意ではない。この道にも前や後ろという概念があるとすれば、確実に前を向き、さらには歩いているところである。

 

冒頭に、わたしは「物語」を否定しているというふうなことを書いた。

生き方に関して言えば、物語的というべき生き方があるとして、その対極に詩の連続というべき生き方があるのではないかと考えている。

しかし、今朝にわたしが体験した「物語」の説得力こそが解なのかもしれない。

 

それでもわたしは、物書きの端くれとしては「物語」に否定的な姿勢をとることを、どうしてもやめられないのである。

虚構も十分に「物語」になり得るので、わたしの否定はすべての事実にまで及ぶものではない。

右半身が沈むほどに考えた昨日わたしが言いたかったことは、少なくともわたしの日記は物語ではない、というささやかな一点に過ぎないだろう。

このことについて今のところは、ロジックで解決するものでは無いと見えている。

 

昨日わたしの身に起きたことについて、ここに詳細を残したくはない。書くことから逃げていると思われても仕方がないのであるが、こればっかりはどうしても、強いて挙げるとするならば、縄文遺跡にて拾ったクルミは虫や鳥に食われて腐っていた、ということくらいである。

 

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追記

この文章を読んでくださった方からメッセージをいただいた(とてもありがたい)。

そこで初めて気づかされて、これはまずい……と思う

2018年7月8日は、1997年4月3日に生を受けて以来、もっとも良い日でしたことを追記しておきます。

いちばん大事なことが書けていなくて、大変お恥ずかしい…… 精進します。