ハッピーエンド

 

2018年7月15日(日)

 

求人サイトばかり見ている。

地元に残りたいという気持ちが日ごとに増してきて、まあ実家からは出たいと思っているのだけど、希望する勤務地には「青森市」と入力している。

働きたいと思っている小さな出版社があって、しかし採用情報は出ていない。自分の文章を持って突撃するだけの度胸は幸い備わっているけれども、月給13万円とある。こんなことでいちいち引っかかる自分が嫌になる。

 

昼間、母が6枚切りの食パン2枚を使ってホットサンドを作ってくれた。昨日の夕飯で余ったトマトとキャベツ、それとチーズが挟んである。あの真っ赤なホットサンドメーカーがなくとも、十分に暮らしというものはやっていけるのであるが、ああ、暮らしとは元来そういうものではないように感じる。これは少なくとも、"わたしが求める"暮らしの話であるのだが。

 

Twitterで流れてきた

死刑廃止国が犯人を射殺した件数を調査してみた』(https://www.yaserucola.com/entry/shot_dead

という記事を読む。

こういう有益な情報を目の当たりにすると、日記なんか書いていてもどうしようもないなとつくづく感じるが、さっきのホットサンドメーカーのことを思い出してしまう。

 

あー、という意味のない音を発し、小学四年生の頃に与えられた自室の、物心ついた頃から使っているベッドに倒れこむ。ちっとも絶望していなく、やや胃が痛む程度である。

昨夜3時頃まで起きていたので今日は12時頃まで眠ってしまったが、それでもまだ眠い。昼に目が覚めたとき

カーテンがふくらむ二次性徴みたい あ 願えば春は永遠なのか

という、歌人の初谷むいの歌をなんとなく思い出した。春とは何だろう、と思うも答えまでたどり着かないまま考えるのをやめた。

 

そういえば昨日、弟から文化祭の様子の写真や動画を見せてもらった。弟はわたしと同じ高校に進学して、毎日楽しそうにやっている。わたしには高校の記憶がほとんどない。わたしのiPhoneに残っている高校の文化祭の写真は、コカコーラの空き瓶の写真一枚のみで、弟には「なんで人の写真撮らないの?」と馬鹿にされた。

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青森にいたいけれど、自分がここでしかできないことは一体なんだろうとも思う。

andymori『ハッピーエンド』を聴く。誰に何を言われても、自分が信じたいものを信じればよいということは救いである。

都会へ行けば刺激的な人らに囲まれて刺激的な日々を過ごすことができる(確率が上がる)ことは理解している。

自分が遠くへ行けない理由が、経済力行動力と直接的に結びついているとは思えない。正当化したいための言い訳に見えるのならそれでもかまわない。これが他人に噛みつかれた腕ならば腕ごとくれてやる。

 

まだ21歳とか、いつまで自分は言っていられるのだろう。もう誰かを傷つけるのはごめんだと思ってはいるのだが。