神様へ、メロンとビールどっちがすきですか 返事待ってます

 

2018年7月27日(金)

 

8月から、パン屋さんで働くことになった。

今アルバイトをしているTSUTAYAは、7月いっぱいのシフトで終わり。気を病んで横浜の某パン工場から帰ってきたわたしを救ってくれたTSUTAYAの皆さんには、本当に頭が上がらない。まあこの感謝の気持ちは、TSUTAYAの皆さんに直接伝えるとして。ここで言うべきことは、制服のクリーニング代が払えないことか。いやはや、深刻であります。

 

今日はTSUTAYAのシフトが入っていなかったので、8月からお世話になるパン屋さんへ行き、アルバイトという形で働かせてもらった。お店は10時から19時までが営業時間なのだけれど、あっという間に完売してしまったので、13時で閉店になってしまった。履歴書の志望動機に「もっとたくさんの人にここのパンを食べてほしいので、そのお手伝いをさせてください」というようなことを書いたのが、恥ずかしくなってしまった。でも、地元で一番すきなパン屋さんで働けることは、本当にうれしい。

 

 ◇◇◇

 

遠くに行けるのは天才だけだ、という言葉をわたしはずっと信じていて、ずっと遠くのことばかりを考えていた。高校生、校舎を背景とした思い出に相当する記憶がないし、思い出せるのは、夜行バスでよく行った東京の、日比谷野音とか新宿とかばっかりで、高校を卒業して、横浜へ行くことに何の迷いもなかった。今思えば、から始まる「東京を選ばなかったこと」を語ること、については、うーん、結果論になってしまいそうだし、怖くてなんにも言えないが。

わたしの今の態度は手のひら返しのよう、つかそのもので、快くないと感じる人もいるのだろうな。わたしは、ずっと青森が嫌いだった。理由は単純で、何もないから、退屈だった。東京に行けば何でもできると思っていた、ということは、何もできないのは青森にいるからだ、ってことだった。そんなわけないのにな。地元のライブハウスでは、聞き慣れた津軽弁でMCをする人たちがいて、それをかっこいいと思うところまでは、合ってたのにな。

横浜でだめになっていっている実感はあっても、青森に帰りたいとは思わなかった。貯金なんてなかったけど、どうにか「遠く」で暮らす方法を必死で調べた。「遠く」にある青森のことばかり意識していた。

次第に疲れていって、1日をマウンテンデューの350ml缶でさえ余すようになり、それでいてああ、身体中の穴という穴からは何かしらの液どもが垂れているけれども、止めようがない。ついに自分から「青森に帰りたい」と言うようになった。それは決して、青森が恋しくなったからではなく、それが一番簡単だったから。だけど、自分が青森にいることを選択したのではない、そういう奇妙なプライドみたいなものがあった。自分は自分を天才だと本気で思っていたし、自分が「遠く」に選ばれないことを、認めることがずっとできなかった。

 

…そんなわたしが、なにをきっかけに青森への愛が爆発したのかはわからないので、まったく書けないな。恋とか愛とかたぶんそんなんじゃね?えー、それは知らないけど

 

今もわたしは青森で暮らしている。「遠く」への憧れは消滅して、青森で暮らす選択をした。就職したのは、その気持ちにとどめを刺すためであったようにも思う。もちろん、何かを諦めたということではないし、むしろやる。青森にいる意味を、次の職場からは学べるような気持ちがしているし、わたしはわたしのやり方でそれを表現することが使命、つったらかっこつけみたい、まあわたしの文章はぜんぶかっこつけなんですが、まー使命ですわな。今は。意味を求めんのは野暮ですかい?と尋ねといて何だが、知るかどーでもいい。わたしはほしかったんだ。このことについては、ずっとほしかったんだ、わたしは。

たびたびこぼしてましたが、青森にまつわる文章を書いていきます。つか、書いています。記念すべき第1回は『ねぶた祭』です。ラッセラー!これから月1回の頻度で更新していけたらいいな、と考えています。「たのC読むガイドブック」を目指します。

 

ふー、これ、メロン食いながら書いた!ばあちゃんにもらった。腐る寸前だった!なんかめちゃくちゃになっちゃった!毎度か!毎度!

 

すべての人に感謝!神様、感謝してます。ビールおごってください!しばらく飲んでないなー。